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- ○第1日 1限 「言語学入門」
大津 由紀雄(慶應義塾大学教授)
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春期講座の冒頭に置かれているこの講義では言語学に関心を持ちながらも、まだ体系的に学んだ経験のないかたがたを言語学の世界への誘うことを主たる目的とします。
具体的には、
1 言語学の目的:なんのために言語学をするのか?
2 言語学の領域:言語学にはどのような研究領域があるのか?
3 言語学の方法:言語学研究を遂行するにあたって、どのような方法が用いられているのか?
などについて、できるだけわかりやすく、例を挙げながら、解説します。
たとえば、理論言語学講座のさまざまな講義で、「統語(論)」とか、「最小対」とかという用語が使われますが、これまでそのような用語を耳にしたことがないかたや、耳にしたことはあるが、それがなにを指し、言語学研究においてどのような意味を持つのかなどについてすぐには答えられないというかたにはこの講義の受講をお勧めします。
また、東京言語研究所および理論言語学講座についても解説をしますので、 理論言語学講座をはじめて受講することを検討しているかたがたもぜひ受講していただきたいと思います。
- ○第1日 2限 「認知言語学」
池上 嘉彦(昭和女子大学教授・東京大学名誉教授)
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<ことば>は<ひと>によって生み出され<ひと>によって使われるというのは自明の理です。しかし、それにも拘らず伝統的な言語研究では、<ことば>生み手、<ことば>の使い手としての<ひと>―言語学では<話者>(speaker)と呼ばれます―はきわめて軽い扱いしか受けてきませんでした。まるで<規則>がどこかで生成してくれた文を口にするだけとでもいう、存在感の薄いものでした。認知言語学では、<発話>(utterance)に先立つ<事態把握>(construal)と呼ばれる<話者>の営みに注目します。ある<事態>をどのように言語化するか―例えば、ある<事態>のどの部分を表現し、どの部分を表現しないのか、表現する部分については、どこに焦点を当てどのような視点から表現するか―<発話>に先立って<話者>としての<ひと>は、こういう<認知的>(cognitive)な処理を<主体的>に実行しているわけです。このようにして、認知言語学では、<話者>による<事態把握>の営みに注目することによって、すぐれた意味での<話す主体>(sujet parlant)としての<話者>の役割に正当な位置づけが与えられることになりました。一方では、どの言語の話し手であっても、<話者>は同じ一つの<事態>をいくつかの違ったやり方で把握し、言語化する能力を有する(例えば「オ茶ヲ入レマシタ」とも「オ茶ガ入リマシタ」とも言う)という普遍的な側面が見られるのと同時に、他方では、可能ないくつかの把握の仕方のうちのどれを特に選択して言語化するかは<話者>の話す言語が異なれば異なりうる(例えば、道に迷って、人に尋ねるとき、日本語話者なら「ココハドコデスカ」と言うが、英語話者なら「私ハドコニイマスカ(Where am I?)」と言う。)という相対的な側面がある。同じ<ひと>であることに由来する<普遍性>、異なる固有の文化の中で育つことに由来する<相対性>―この二つの側面の兼ね合いは、言語から出発し、そして言語を超える文化、思考にまで拡げて検証してみることもできるはずです。
- ○第1日 2限 「意味論と語用論」
西山 佑司(明海大学教授・慶應義塾大学名誉教授)
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わたくしたちは、ある文を聞いてその内容が分かると言うとき、それはその文の意味を理解しているからだと考えがちである。例えば、よほどのへそ曲がりでないかぎり、(1)を聞くと (2)の意味を表していると理解するであろう。
(1) ピアノの音が大きい。
(2) ピアノの鍵盤を叩いた時に出る音が大きい。
しかし、コンテクスト次第では、(1)は、「ピアノを引きずった時に出る音が大きい」「ピアノをビルの屋上から落とした時に生じる音が大きい」など多様な読みが可能である。同様に、(3)の各文を耳にすると、誰でも対応する(4)の意味を理解するであろう。
(3) a. 警察官は交差点で、太郎の車を止めた。
b. この辞書は良い。
c. 叔父は胃潰瘍だ。
(4) a. 警察官は交差点で、太郎が運転している車を制止した。
b. この辞書は、その記述内容が優れている。
c. 叔父は胃潰瘍を患っている。
しかし、コンテストが変われば、(3)の各文には(4)とは別の解釈も可能である。実は、(4)は、対応する(3)の各文自体の意味を表しているのではなくて、話し手がその文を用いて相手に伝えようとした意味(話し手の意味)を解釈したものにすぎない。では、文自体の意味とは何か、文の意味と話し手の意味との関係はいかなるものか、聞き手はなぜ、多様な解釈のなかで特定の解釈だけを話し手の意味とみなすことができるのであろうか。これらの問いは、「言葉によるコミュニケーションはいかにして可能であるか」につながる重要な問いである。本講座ではこれらの問いに対して現代の言語科学がいかなるアプローチをしているかを具体例で説明する。この問題の考察を通して、「意味論 (semantics)」や「語用論 (pragmatics)」と称せられている言語学の分野が何を目指している科学であるか、それら二つの分野を区別する基準は何か、といった問題を論じる。
- ○第1日 3限 「生成文法入門」
大津 由紀雄(慶應義塾大学教授)
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生成文法に関心がないわけではないが、どうもとっつきにくいと考えている人がかなりいるように思います。そこで、この講義では、
(1) 生成文法はなにを目指しているのか
(2) そのためにどんな方法がとられているのか
について、できるだけわかりやすく解説します。
というわけで、生成文法に対する「とっつきにくさ」を払拭してもらいたいというのがこの講義の第一の目的ですが、ついでに、受講者にみなさんにもう少し本格的に生成文法を学んでみようという気にさせて、今年度の理論言語学講座でわたくしが担当する「生成文法T(入門)」に参加してもらいたいというのが(明かしてしまいましたが)隠れた目的です。
- ○第1日 3限 「文法と意味、文法の意味:認知文法の視点」
西村 義樹(東京大学准教授)
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コミュニケーションを重視する外国語教育(学習)でも、小中高の国語の授業でも、文法の評判はひどく悪そうである。「日本人は文法にこだわりすぎるから英語(あるいは外国語一般)がうまく使えるようにならないのだ」とか「日本語(あるいは母語一般)は学校で文法なんか習う前からちゃんと使えるようになっているのだから、言語の運用能力を身につけるためには文法の知識など必要ないのだ」などという声はよく耳にするし、そういう意見に強い説得力を感じる人も多いように思える。
それでは、文法がこんなに不人気なのは仕方のないことなのだろうか?私のように昔から文法が大好きで、ついには文法についていろいろと考えることを仕事の一部(ひょっとすると大部分)にしてしまった人間はタデ食う虫のような存在なのだろうか?いや、この際自分のことは考えないでおくとしても、私にとって掛け替えのない文法は本当にここまで悪者扱いされざるをえないのだろうか?そもそも文法はコミュニケーションと相反するものなのだろうか?
ただ文法が好きだからではなく、私は決してそうではないと考えている。文法はその本質(のいくつかの面)さえわかれば、言葉に少しでも関心を持つ人なら誰にでも、驚くほど魅力的な姿を見せてくれるだけでなく、コミュニケーション(およびおよそあらゆる言語活動)において欠くことのできない重要な役割を果たしていることが見えてくると思っているからである。この講義では、認知文法という言語理論の視点から日本語や英語の身近な現象をめぐって以下のようなテーマを取り上げながら、「文法の意味」について考察してみたい。
(1)そもそも文法とは何なのか?言語の研究者の多くが文法に注目するのはなぜなのか? (2)すべての言語に文法はあるのか?あるとしたら、それはなぜなのか?言語を用いた意味(メッセージ)の表現・伝達に文法は必要なのか? (3) 異なる言語間の文法の違いとその言語を話す人たちの思考様式の違いには何か関係があるのか? (4)文法と語彙はどのように関係しているのか?語の意味と語の文法的な特徴の間にはどのようなつながりがあるのか?
- ○第1日 4限 「音声学」
上野 善道(東京大学名誉教授)
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音声(言語音声)およびそれを研究する分野である音声学について、その前提になっている事柄を概説します。予定している主な話題は以下の通りです。音声が伝え、人間が耳で瞬時にとらえる情報がいかに多様であるか。その中で、言語学が主たる研究対象としている部分は何か。音声と意味とはどういう関係にあるのか。先天的にもって生まれる言語一般の能力と後天的に獲得する個別言語との関係。大人には、なぜ母語の音声はやさしく、他は難しいのか。にもかかわらず、母語以外の音声も研究できるのはなぜか。それができるようになるためには何が必要か。実践音声学の必要性。音声はどのようにして発せられるのか。音声器官はどのようなものがあり、どのように動くのか。「耳が良い」とはどういうことなのか。音声を記録するための手段としての音声記号の効用と限界など。
以上について、声帯運動の様子その他の動画も見せながら、できるだけ具体的に分かりやすく話す予定です。
(1コマの春期講座では個別の音声には触れる余裕がありませんが、理論言語学講座の「音声学」では、国際音声記号(IPA)の一つ一つについて聞き取りと発音ができるように訓練をします。音声学は、実は理屈だけではなく、実際にできるようにならなければ意味がないと言っても過言ではありません。それには練習あるのみなのです。)
- ○第1日 4限 「現代進化言語学―前駆体を探ろう」
池内 正幸(津田塾大学教授)
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通常の生成言語学研究では、経験的に妥当な、UGに想定される原理・操作・特性などに辿り着いたところで一応の完結を見ることになりますが、進化言語学では、さらに、それらの「前駆体」を探るということが大きな仕事となります。そして、その研究は、通例、ヒトの、言語以外の認知機能、あるいは、他生物の認知機能などの中にそれを探るという学際的作業となります。
本講義では、進化論、言語の二段階進化仮説、方法論などを紹介・解説・想定した上で、ヒトの言語の特徴のうちの、(i)こころへの依存性(mind-dependency)と(ii) 線状性(linearity)について、それらの前駆体と思われる特性を現生動物の「ことば」の中に探ってみたいと思います。
具体的には、ヴェルヴェットモンキーやミーアキャットなどの警戒声、フードコール、鳥の歌、キャンベルモンキーの鳴き声などをやや詳しく見る予定です。
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- ○第2日 1限 「言語研究のおもしろさ」
上野 善道(東京大学名誉教授)
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学界では通説になっている常識のような事柄でありながら,事実をよく観察するとそうとは言えない例がいろいろあり,別の捉え方の方がより事実に合っているということがある。(言語)研究のおもしろさの一つは,そういう捉え方を自分で見出すことにある。
昨年は,ほとんど注目されていなかった「アクセントと意味」の関係を扱った。具体的には,ピッチの「下降」と「意味範疇」との関係である。今年は,広く見れば同じ「アクセントと意味」の関係であるが,よく取り上げられているテーマを扱う。私の観点から言うと,ピッチの「上昇」と「語用論的意味」の関係である。
たとえば次の例を見てほしい。最近まで機内放送でよく使われていた文である。
携帯電話の電源は飛行機をお降りになりましてからお入れ下さいますようお願い申し上げます。
これを...オ[イレクダサイ....とピッチを上げて([)発音していたが,不適切である。文意を反映しておらず,誤伝達が起こる読み方になっているからである。それはなぜで,どう発音すれば適切になるであろうか。
このような例をもとに,ピッチの上昇がどういう機能をもっているのかを考えてみたい。そこから,「上昇」はアクセントとしての下降とは全く異質なもので,「意味」と深く関係していることが見えてくるはずである。
実はこのテーマは,統語論(syntax)と音韻論(phonology)の接点(interface)として世界的に広く研究されているものである。しかし,音調(ここでは上昇)は文の構造,とりわけ枝分かれ構造によって決まるとする考えには疑問がある。むしろ「意味」によるのではないか。しかし一方で,意味の区別がすべて音調で示されうるものでもなさそうである。 結局,音調は意味のどういう側面を表わすものなのであろうか。
この問題は,焦点(フォーカス)やプロミネンスと呼ばれている現象と密接に関係する。それについても考えてみたい。なお,この講義を聞く際にアクセントについての予備知識は必要としない。
- ○第2日 2限 「機能的構文論 -省略現象を中心に-」
高見 健一(学習院大学教授)
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言語表現は、先行文脈で了解済みの場合は省略され得るが、どのような場合でも省略できるわけではない。例えば次の例を見てみよう(久野・高見 2007)。
(1) A: I know that John has called you. Has Bill called you, too?
B: Yes, he has φ , too.
(2) A: I know that Bill has called John. Has he called you, too?
B: *Yes, he has φ , too.
(1B) と (2B) の答えは同じであるが、(1B) は適格であるものの、(2B) は容認されない不適格文である。なぜこのような違いが生じるのだろうか。
省略が意味解釈に変化をもたらす場合もある。例えば次の (3A) の質問は、(i)「ジョンは[パリにいつ行く]ことを望んだか」と、(ii)「ジョンはパリに行くことを[いつ望んだ]か」、の2つの解釈があるが、その答えの (3B) は、(ii) に対する答えでしかない(久野・高見 2007)。
(3) A: When did John want to go to Paris?
B: He wanted to φ in September.
解釈 (i): *ジョンは、[パリに9月に行く]ことを望んだ。
解釈 (ii): ジョンは、パリに行くことを[9月に望んだ]。
なぜ (3B) には解釈 (i) がないのだろうか。
本講義では、上記のような英語と日本語の省略現象-動詞句削除、空所化、談話省略等-を取り上げ、そのメカニズムの謎を解く。そしてその際、文の情報構造や焦点というような機能的概念の重要性に言及し、言語現象を考察する際に文の意味や機能、談話的要因などを考慮することの大切さを示したい。
- ○第2日 2限 「文法形式と意味」
尾上 圭介(東京大学教授)
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文の意味の内で、名詞、動詞、形容詞、副詞などの語的概念に帰することができない側面を「文法的意味」と総称するなら、文法的意味は多種、多様である一方、それを実現する文法形式の種類はかなり少数である。あらゆる文法的意味を少数の文法形式でまかなうためには、異なるいくつかの文法的意味を一つの文法形式で表すことがどうしても必要であり、それはどの言語でもそうなのだが、どの意味とどの意味を一つの文法形式で実現するかは、言語によって異なる。
例えば日本語では、〈受身〉と〈可能〉を同じ「ラレル形」という文法形式で実現するが、英語や中国語では〈受身〉の形式と〈可能〉の形式とは別である。いったい、どういうことが起こっているのか。「も」という助詞は〈並列〉という意味を表すこともあるが、「人の気も知らないで…」「風もないのに…」のように〈否定補足〉の要素として働くこともある。なぜか。「は」という助詞は、〈題目提示〉という機能を持つほかに、「クジラは魚ではない」のように〈否定補足〉の要素として働くこともある。なぜか。そもそも、正反対の意味を持つはずの対立(分説)の助詞「は」と共存(合説)の助詞「も」とがともに〈否定補足〉の要素として働くことがあるとはどういうことか。 また、主語―述語という文法的関係(これも文法形式のひとつと言ってよい)の意味的内実は、〈動作主〉―〈動作〉、〈属性の持ち主〉―〈属性〉のように、各言語に共通である面が大きいが、周辺的に異なる面もある。どうしてであろうか。
文法形式の多義性の構造を問うということを出発点として、それぞれの形式に固有の対象認知の枠組みを探り、そういう固有の性質を持つ文法形式の構築物として文の構造を見ていくという文法論が開けてくるであろう。
- ○第2日 3限 「語形成(派生形態論)の面白さ」
竝木 崇康(茨城大学教授)
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言葉についての研究はいろいろありますが、単語という基本的なものについてはわかっているようで案外わからないものです。受験勉強のための語彙力をつけるとか、語源から単語を理解するという本などはよくありますが、この講座では少し違う立場から単語について考えたいと思います。
それは「単語の構造」という観点から単語を研究するというものです。「文の構造」ということはよく知られていますが、実は単語にも構造があると考えるべき根拠がいろいろとあります。そこから始めて、英語と日本語における単語を作る仕組みについて、できるだけ具体的な例をあげて話を進めていきます。詳しく取り上げるのは、英語と日本語の複合語(つまり、単語同士が並列されているが全体として単語の性質を持っているもので、bathroom、coffee maker、「花時計」、「天ぷらうどん」など)ですが、ときには新聞の4コマ漫画を使い、さまざまな商品の実物を示し、私たちに身近な表現の持つ面白さを追求するとともに、単語を作り理解するという観点から私たちの言語能力を考えることもします。そして英語と日本語には単語の構造に関する意外な共通点があるということを示します。またある英語の表現をOEDの第2版を使って調べると、大変興味深いことがわかるということも、時間が許せば述べます。
講義ですが皆さんの英語や日本語についての直感を働かせてもらう質問をしますし、皆さんからの質問や発言を大いに歓迎します。
- ○第2日 3限 「古代日本語文法研究の面白さ」
川村 大(東京外国語大学准教授)
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「古い日本語の文法」というと、高校の古文の時間にやらされた暗記また暗記(「あり・をり・はべり・いまそかり」「せ・し・す・する・すれ・せよ」!)を連想する人が多いと思います。英単語の暗記と違って実用のあてすら無い、あんな「苦行」を大学に行ってまでやる奴の気が知れない、とお思いの方も多いでしょう。もちろん丸暗記だけでは何の役にも立ちませんが、実はその「苦行」の先に、文法の面白い世界が色々と開けているのです。
古代日本語の文法の面白さにはいろいろな側面があって、「@ひとつの言語の文法を研究すること自体の面白さ」「A現代(共通)語の文法がこのようにあることの由来を明らかにすることの面白さ」ももちろんあるのですが、「B現代語の文法を相対化し、文法に関する思索を一段深めることの面白さ」を見逃すことはできません。今回の講義では、「連体形終止文」という(特殊な)構文を取り上げながら、特にBの面白さの一端をお示ししたいと思います。
- ○第2日 4限 「文法原論」
梶田 優(上智大学名誉教授)
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文法学は、従来、「文」を主な研究対象としてきたため、文の形式を持たない慣用表現や文未満の断片的な語句は、周辺的な扱いしか受けてきませんでした。しかし、近年、言語習得、文体・談話、言語類型論、言語進化、言語哲学などとの関連で、文以外の表現(以下「断片」と略称)にも注意が向けられるようになり、興味深い事実がいろいろと分かってきています。今回の講義では、そのような事実の例をいくつか見ながら、「文」と「断片」の関係を一般文法理論の観点から考えます。
個別言語の文法だけでなく、一般文法理論も、たいていの場合、「文」中心の考え方で組み立てられてきたのですが、ここで「断片」を考慮に加えると、全体の構図はどのようになるでしょうか。少なくとも三つの可能性が考えられます。
(1)「文」文法についての理論があれば、その一部分を適用するだけで「断片」の文法が得られる。「文」文法の理論を大幅に修正したり、「断片」についての理論を別に立てたりする必要はない。
(2)「文」文法の理論に加えて、それとはまったく別の、「断片」についての理論が必要になる。
(3)「文」と「断片」は同じ理論によって統一的に説明されるが、その統一理論は、従来の「文」中心の理論とは本質的に違ったものになる。
これらの可能性のうちもっとも妥当なのは(3)であると考えられます。これは、実は、(従来の静態的・出力説的な文法理論に対する代案として考えられてきた)動態的・過程説的な文法理論の帰結の一つであるのですが、この方向で研究を進めることによって、「断片」のみでなく「文」についても、よりよい説明が可能になることを具体例で見ていきます。
- ○第2日 4限 「語用論と日本語」
滝浦 真人(麗澤大学教授)
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"道具の使い方と効果"の解明が語用論の仕事であるかぎり、語用論が成立しない言語はない。しかし、語用論にどの程度の仕事が割り当てられるかは、言語によって大きな差異がある。日本語、とりわけ近世以降の日本語は、表現における語用論的な幅を大きくした言語である。
語用論的幅が大きいとは、話し手(書き手)が対象のありようを見なす自由度が大きくなることを意味する。たとえば、小さな男の子を「坊や」と呼ぶか「ボク」と呼ぶかで、呼んでいるものは違う。彼氏の連れてきた見知らぬ女性について、「誰?この人」と言うか「誰?その人」と言うかで、いわば拒絶感の強さが変わる。
日本語は、そうした話し手の伝達態度(モダリティー)を表す形式を発達させた。その代表の一つが終助詞で、多くの日本人は"終助詞依存症"と言えるほど、終助詞なしではやれないと感じている。待ち合わせに現れない相手から「待ち合わせって8時でしたっけ?」と電話が入ったとき、「ええ、そうですよ」で苛立ちを返すよりも、「ええ、そうですね」と言い放つ方が冷淡だということを、日本語話者はよく知っている。
春の講座の1コマで、 "語用論的言語" 日本語のいくつかの断面を眺めてみませんか?